2018秋_vol46
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るなんて思い上がって、僕も被災地に行ったことがあるんですが「今この人たちに映画を観る余裕なんかない」という現実を思い知らされたんですね。でも白秋と耕筰は震災をきっかけに人々を癒す童謡を作ることができた。今だってそれは必要なことだと思うんです。童謡が生まれてから大正、昭和、平成と続き、来年には新しい年号を迎えます。そういう歴史の中で、同じことが繰り返されてはならないという思いも、この作品に込めたつもりです。―では、監督にとっての「この道」とは?映画しかないですね。きっかけは『ウエストサイド物語』。中学生の時、淀川長治さんに「弟子にしてください」と手紙を書いたところから始まって、大学で出会った仲間達と8㎜カメラを買って、18歳の時から映画監督への道がスタートしました。これからも頑なに映画を撮り続けたいと思いますね。時々浮気をして、テレビドラマも撮りますけど(笑)。―ご自身の映画にはどんなテーマやセオリーがあるのでしょうか?基本的に僕の映画には悪人がおらず、派手な殺戮や濡れ場もありません。僕はそんな大層な監督ではありませんが、家族をテーマに、いい人達がいい物語を奏でていくというのを10年コツコツやれば、佐々部映画はこう、というラベルができる気がしたんです。それから、両親に迷惑をかけてこの世界に入り、父が早くに亡くなったので、残った母が喜んでくれる映画を撮りたかったんですね。『半落ち』を撮った頃、「お宅のお兄ちゃん、またいい映画撮ったねって友達から言われる」と母が話しているのがとても嬉しかったのを覚えています。―ドラマ「北の国から」への参加もターニングポイントになったそうですね。はい、30代前半まではスタイリッシュな映画に憧れていたんですが、35歳で「北の国から」に参加して、家族の話になんでこうも感動するんだろう、と。その時自分に家族ができたこともリンクしたんですが、謎解きも殺人もなく、派手なカメラが360度回らなくても、ただただ人が思いやる様を、嘘のない感情を撮ればこれだけ人に伝わるんだということを、この作品から学ばせてもらいました。―そんな監督の作品で救われた方も大勢いらっしゃるんでしょうね。『半落ち』で命が救われたというお手紙をいただいたこともありますし、『ツレがうつになりまして。』は、うつ病で苦しんでいる方からたくさんの反響をいただいたんです。あの映画で一歩踏み出せた、と。そんな瞬間は映画を生業にしてよかったなと思います。―素敵なお話ですね。これまで監督が様々な作品を手掛けられた中で、心惹かれる俳優とはどんな方ですか?一度「よーいスタート」と声を掛けてみたかったのは高倉健さん。『鉄道員(ぽっぽや)』、『監督を務めた時、ほぼ全カット監督の次にいいポジションで高倉さんのお芝居を見続けられたことも幸せでしたけど、できたら自分が撮ってみたかったなぁ。あとは、こちらの提案に対して、いくつになっても“変われる人”はいいと思いますね。―今後撮ってみたい題材とは?これからもっと高齢化が進んでいきますが、60代後半~70代くらいが若い頃一番映画で熱狂した世代なんですよ。しかも今は時間とお金がある。それなのにシニアが楽しめる映画が少ないんですよね。僕はその隙間を埋められるような映画が作れるといいな、と。―新作映画もとても楽しみです!では最後の質問です。監督は今、どんな旅路にいらっしゃいますか?僕は飛行機が苦手で、ゆったりとした旅、特に船旅が好きなんです。今は映画界の荒波に転覆しないように、一生懸命自分の決めた航路を探りながら旅をしているところですね。時々船に酔ってほろ酔い日記を書いたりすることもありますけど(笑)。ホタル』と連続して助●映画への思い ©映画「この道」製作委員会佐々部清(ささべ・きよし) 1958年1月8日、山口県生まれ。明治大学文学部演劇科、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を卒業後、フリーの助監督を経て2002年『陽はまた昇る』で映画監督デビュー。以後『チルソクの夏』、『半落ち』(日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞)、『夕凪の街 桜の国』、『ツレがうつになりまして。』など監督作は17本に及ぶ。その他、「心の砕ける音」(WOWOW)、「告知せず」(テレビ朝日開局50周年スペシャル/芸術祭参加作品)など数々のテレビドラマや舞台「黒部の太陽」の演出なども手掛けている。2019年1月から映画『この道』が公開予定。日本映画監督協会理事。映画『この道』 2019年1月全国公開出演:大森南朋 AKIRA / 貫地谷しほり 松本若菜 柳沢慎吾 羽田美智子 松重豊 他監督:佐々部清  脚本:坂口理子  配給:HIGH BROW CINEMAhttps://konomichi-movie.jp/11

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