2018春_vol44
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ていらっしゃいますか?もちろん選手ファーストというのはありますけど、それを観る側の意識改革も必要だと思っています。フィギュアスケートは非常に人気がありますが、他のスポーツの中には資金面などで競技を続けるのが難しいマイナースポーツもたくさんあります。夏と冬の競技は今まで共有する部分がなかったのですが、そうしたスポーツの普及やコラボレーションなどを通して、スポーツの素晴らしさを子供たちに伝えるような活動をしていきたいですね。―スケート以外のお話もお伺いしたいのですが、鈴木さんの故郷・愛知県豊橋市はどんなところですか?また、今まで訪れた中で印象深かった場所を教えてください。豊橋には今も住んでいるんですけど、人がとても温かいですね。野菜や果物が豊富で、特にトマトはとても美味しいんですよ。今は講演などで各地を訪壁にぶつかった時にどう乗り越えてきたかというお話をさせていただいています。―鈴木さんは本郷理華選手の振付をきっかけに、振付師としても活動されていますね。はい、学生の頃から振付師の方と一緒に一つの作品を作り上げていく過程が楽しくて仕方なかったんです。振付師はフィギュアスケーターにとって大きな影響力を持つ仕事。私が選手時代、一人で海外に振付を教わりに行った時、いろいろとケアしてくれたイタリア人振付師のパスカーレ・カメレンゴさんとは今でも交流が続いています。―最近は多くの若手選手が活躍していますが、元選手であり振付師でもある鈴木さんから見ていかがですか?そうですね…世界的にもレベルが上がっている中で、日本の女子選手はそれぞれの持ち味が出てきていると感じます。今はみんなジャンプも上手だし、スピンやステップも完成度が高い。その中でプラスαになるのはやはり“個性”だと思うんです。理華(本郷選手)も、ようやく一つ殻が破れたところなのでこれからがすごく楽しみ。今後も若い選手たちの芽が、いろいろな方向に伸びていくことを期待しています。―鈴木さんは東京オリンピックのアスリート委員にも選出されていますね。今後のご自分の役割をどのように考えれる機会が増えて、全国にあるルートインさんにはいつもお世話になっています。最近で特に印象的だったのはカキとカニが名物の佐賀県太たら良町。町民の方の温かいおもてなしに感動しました。苦手だったカキも食べられるようになったんですよ(笑)。選手の頃は練習がメインの生活でしたが、今は初めてのお仕事もあり、日々こうしていろんな方にお会いできるので、いい刺激になっています。―そんな鈴木さんが、今まで出会った中で一番影響を受けた人は?うーん…難しいですが、やっぱり(浅田)真央や高橋大輔くん、織田(信成)くんですね。会うと家族みたいにホッとするんですよ。小さい頃から合宿や試合で一緒なので距離がすごく近いんです。ただ仲が良いとはいえ、節度のある距離は保っている。最後には一人で戦わなきゃいけないし、みんなどこかで孤独な部分があるんですね。でも試合が終わると分かち合える。お互いを認め合っているから、そこにリスペクトがあるんです。彼らがいなかったら、私はここまで頑張れなかったと思いますね。―素敵な仲間の存在が鈴木さんの今に繋がっているのですね。最後に、毎回ゲストの方にしている質問です。今、鈴木さんはどんな旅路にいらっしゃいますか?ようやく序章を抜けたところ、ですね。スポーツ選手は引退してからが第2の人生と言われますが、私の感覚ではずっと続いているもの。私は、オリンピックが人生のハイライトだと思いたくないんです。この先もっと苦しいこともあるかもしれないけど、楽しいこともやりがいも感じたいし、まだまだ成長し続けたい。今までたくさんの方に支えていただいた分、これからは「伝える」という仕事を極めて、人の心に寄り添えるような、しなやかな強さを持った女性になりたいですね。鈴木 明子 (すずき・あきこ)1985年3月28日、愛知県豊橋市生まれ。6歳からスケートを始め、15歳で全日本選手権4位に入賞。2010年のバンクーバーオリンピックでは8位に入賞し、大きな注目を集めた。2011年GPファイナルで銀メダル、2012年世界選手権で銅メダルを獲得。2013年の全日本選手権では悲願の初優勝を果たした。2014年のソチオリンピックでは団体戦で5位入賞、個人戦で8位入賞。2014年の世界選手権出場を最後に競技生活からの引退を発表。現在はプロフィギュアスケーターとしてアイスショー出演を中心に、全国での講演活動を精力的に行っている。また、2015年に本郷理華選手のSP「キダム」を振り付けるなど、振付師としても活動中。17

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